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2010年 08月 15日
5年近くお世話になったexblogからお引越しをすることにしました。
新しいブログはこちら。 新しいブログもよろしくお願いいたします。 I have started new blog. You can find my new blog here. #
by drpion
| 2010-08-15 16:06
2010年 08月 09日
6月に結婚したビクトリア皇太子とプリンスダニエル。
彼らのハネムーンは、結婚式の晩餐会を密かに脱出し、アーランダ空港から、プライベートジェットでバンクーバーへ向かうところから始まりました。 ところが、このハネムーンを巡り、ビクトリアが収賄罪に当たるのではないかという疑惑が持ち上がっています。記事はこちら。 バンクーバーへ向かったプライベートジェットはDassult Falcon 7X。 このプライベートジェットは、若者の語学研修ツアー企画会社である、EF Edcation(Europeiska Ferie-skolan)の社長である、Bertil Hults所有。 1941年生まれの彼は、Tシャツ売りとして働き始めたが、24歳のときに、若者の英語研修目的の英国ツアーを企画する会社を立ち上げて、成功を収めた。800平方メートルもある豪邸が、超高級住宅街であるDjursholmにあるのを始めとして、世界各地に不動産を所有。30億円ほどのプライベートジェット、ストックホルムのブロンマ空港には、専用のターミナルを持つ。 バンクーバーからタヒチに入ったビクトリアとダニエルは、タヒチからさらにBertil Hultsが所有する豪華クルーザーでボラボラ島へ。その後、コロラドにあるBertil Hultsの豪邸に数週間滞在したとのことで、その期間の費用は数千万円、いや、億に届くとも。プライベートジェットの費用だけで軽く1千万円を越えるとか。 Bertil Hultsは王室の古い友人だそうで、国王を始め、ビクトリアやカールフィリップの持つDyslexiaを、彼自身も持っており、彼の4人の息子もまたDyslexiaだとか。そんなこともあって、Dyslexiaのための活動への援助もしている。 Bertil Hultsは、一連の資金提供を、「一友人としてのプレゼントに過ぎない」としているのだが、額が額であること、そして、ビクトリアが公人であることから、収賄罪に当たるとの見方があり、既に3件の訴えが起こされているため、来週から調査が始まるのだそうだ。 一方で、王室には一般の法律は適応されない、極論すれば、国王が人を殺しても、殺人罪にならない、という考え方もあることから、王室は罪に問われない可能性もあるのだそう。 おそらく、Bertil Hultsが言うように、巨額の富を持つ友人としての好意だったのだと想像するけれど、Bertil Hultsも、そして王室も、軽はずみな行動だったのではと思う。 しかし、王室に対しても調査が行われるというのは、ある意味スウェーデンらしくいが、それでも驚きだった。 #
by drpion
| 2010-08-09 19:32
2010年 08月 08日
夏休み期間中は、手術件数も普段より少なめなので、3台あるロボットの中でも古いロボットが空いていることが多く、これはトレーニングのチャンス!とばかり、看護師さんの助けを借りて、練習を始めました。
まず、必要なものを集めることから始まります。 これに、カメラ用のトロッカーとライトケーブルとロボット用の鉗子各種。 不要なダンボールを貰ってきて、人体に見立て、カメラとロボット用、合計3つの穴を開けます。 これに、ロボットをドッキングさせます。 そして、鉗子とカメラを挿入。 私は術者用のコンソールに座ります。 外科医は駆け出しの頃、糸結びの練習を際限なく繰り返します。ロボットでも、縫合や糸結びの練習から。 こちらは、ロボットで折り鶴を折る様子です。今度、私もやってみようかな。 実際の前立腺の手術はこんな感じ。 興味のある方だけご覧ください。 #
by drpion
| 2010-08-08 13:42
2010年 08月 07日
「私が何故スウェーデンに移住したか?」
これは、「私が何故日本を逃げ出したのか?」という問いにもなります。 その中の一つが、「男性社会での女性の限界に嫌気が差した」ということがあります。 私は、いくつかの大学病院勤務を経験しました。「紅一点」は当たり前の職場でした。 駆け出しの頃は、若い女性ということで比較的大事にされてきたと思います。勿論、セクハラは数え切れないほど経験しましたし、その当時、セクハラに対応してくれるところはありませんでしたから、我慢するしかありませんでした。 男性同僚や先輩の態度は、専門医や学位を取得したあとで変わってきます。「競争相手」と見なされると、男性でも女性へのいじめが始まります。セクハラに加えて、アカハラです。ある大学では、妻帯者の先輩医師が、自分の誘いに乗らないことで腹を立て、臨床で意地悪をしてきたりしました。ある大学院生の指導をゼロから私がして、研究費も負担し、論文のドラフトも書いたのに、論文の筆者を横取りしたり、私の研究費を無断で使い込んだ先輩医師もいました。勿論、そんな男性医師ばかりではありません。今でも、私のことを理解し、サポートしてくれる人達もいます。 母校では、同級生100人のうち、10人が女性でした。未だに女性教授は一人もいません。日本の男性社会で女性が頑張っていくのは本当に大変だと思います。 かなり過去への愚痴になってしまいましたが、そんなことが、移住を決意したことの理由の一つです。 しかし、、、。 スウェーデンでも女性が楽だという訳ではなかったのです。 私の職場は女性が2割弱ほど。その女性の中でも、膀胱癌のように大きな手術や、最先端のロボット手術をする女性医師は私だけです。ロボット手術に関しては、まだまだ学ぶ途中なので、他の男性医師の助けがどうしても必要です。しかし、あとからあとから新たにロボット手術を始める男性医師が現れると、男性医師は男性同士でまとまる方がやりやすいらしく、私のことは後回しになります。このことは、同室のスウェーデン人の女医さんも指摘していました。 「Du måste ha vassa armvågar!!!」(鋭い肘鉄を持たなきゃだめよ!!!) と、彼女は言います。要は、自己主張をしなければ駄目だということなのです。 実は、集団の中で強い自己主張をするのは苦手な私。 それでも、日本人男性に比べたらかなりリーズナブルなスウェーデン人男性。だから私は少しマイルドなやり方で、そして、努力で、生き延びてゆきたいと思っています。 #
by drpion
| 2010-08-07 18:55
2010年 08月 06日
未だに夏休み体制で、ぎりぎりの人数での業務です。
今週は18床プラス2床を、一人で面倒をみなければなりませんでした。 しかも、重症や、家族の要求が多い手のかかる患者さんばかり。 重症の患者さんの中には、病歴の長い癌の患者さんも多く、私は初めて診る患者さんについては、何年分ものカルテを全て見直すようにしています。 毎朝の回診では十分話が出来ない場合には、その後に更に病室を訪問します。 そんな中に、おそらく確実にターミナルに向かっている患者さんがいました。 膀胱全摘後の経過の中で、腎瘻造設もされています。腎瘻やストーマからの血尿が止まらずに入院。主治医は感染症だろうと考えていました。患者さんには尿管ステントも挿入されており、交換されるべきものがされていませんでした。日本でもごく数えるほど、そんな例をみたことがありますが、感染のため石ができたりして問題になります。1ヶ月ほど前に、ストーマからステントを抜去するために内視鏡検査をされたようですが、ステントが見つからなかったとのこと。検査をしたのが私より上級医だったため、私は腎瘻から抜くことを考えたのですが、他の上級医が私にもう一度内視鏡で試みるよう言ってきました。 患者さんとは、2時間ほど、図を描いたりしながら説明したり、話をしたりしました。 そのときに、「ヒロシマの原爆の日」の話もしました。祖父が広島で被爆した話をすると、よほど身近に感じたことが驚きだったようです。「こんなふうに、医者に話をしてもらったことはなかった。あなたに会えて良かった。」と、涙ぐんでくれました。 患者さんを外来へ連れて行き、軟性膀胱鏡で回腸導管の中を進みます。回腸導管が何故か非常に長くて、ステントが見つからないかと思われたとき、目の前にステントが現れました。介助の看護師さんに支持を出しながら、鉗子でステントを把持し抜去に成功。そこからが悪夢の始まりでした。ステントとともにストーマから水道の蛇口全開の勢いで大出血が始まりました。外科医ですから出血には慣れていますが、それは血管からの出血の場合。予期せぬ場所からの予期せぬ大出血には、多少は動揺してしまいますが、そこは落ち着いて対応しなければなりません。以前、同じように出血した症例の話を聞いたことがありました。大きな血管と尿路の瘻孔を疑いました。まず、腎瘻を閉じ、点滴や酸素ガスなどの指示を出し、自分はストーマからの出血を両手で押さえるため、身動きが取れないため、病院内の緊急アラームの番号を鳴らします。基本的に4分以内で緊急事態に対応する医師と看護師チームが駆けつけることになっています。 患者さんには常に意識があるかどうか会話をしながら、次のプランを立てます。 まずは、「緊急血管造影」。 そうこうしているうちに、緊急対応医師チームが到着。出血が案外コントロールできているのか、血圧はやや低下、血液データもまずまずです。麻酔科がベッドを押して血管造影室へ。私はストーマから手が離せません。 結局、出血はおさまったのは良いのですが、そのため出血源が判明せず。CTアンギオまでやりましたが、、。再度出血の可能性もあるためICUへ入室要請をしましたが、担癌患者さんの入室は難しいのです。その辺が日本とは違うところ。予算、医師および看護師数、ベッド数などに限りがあることから、治療の優先順位があるのは厳しいですが、仕方がありません。 最先端の医学をもっても、今なお進行癌の患者さんを治すことは難しい。良かれと思った処置が裏目に出ることもある。無力な自分。そんな状況が非常に苦しく感じます。 大出血の中、少し意識が薄れながらも、 「今日はヒロシマの日だね。人間は歴史を忘れてはいけないんだ。歴史から学ばなければいけないから。ヒロシマの日に自分のために食事も抜きで、こんな面倒を掛けて申し訳ない。」 と、患者さんが私に言ってくれました。 その言葉を、私はずっと忘れない。 できれば、ほんの少しでも家に帰れるようにしてあげたい。 この国では、勤務時間が過ぎれば医師は義務から解放されるけれど、医師として私が患者さんに接する時間が、少しでも患者さんの助けになるのだとしたら、日本人医師としての精神を持ち続けてゆきたいと思っています。 #
by drpion
| 2010-08-06 19:45
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